有川靖夫の日記・地涌の会のブログ

釈尊と日蓮大聖人の本当の教えを学び実践する会

平成最後の年末に想う

 平成の30年間、私はその3分の2は大田区議会議員として思う存分の悔い無き政治活動を行ってきた。どぶ板議員として担当地域の様々な問題について、庶民の真っただ中で奮闘してきた。

 なんでも相談110番を開設したことから、取り組んだ陳情事は多岐にわたった。離婚問題、相続問題、暴力団対策から国際問題まで、果てしないテーマに遭遇した。その結果、杓子定規な弁護士より頼りになる”雑学の大家”になれたような気がする。

 とにかく体は健康そのもの、鉄人28号とかアンパンマンとかのニックネイムを頂いた。ローカル議員とはいえ、個人の幸福と世界平和の実現が人生の大目的だから、相談者に「それはできません」とことわることはしなかった。

 ありがたいことに、国会議員の秘書時代は、先生の所属委員会が内閣委員会だったため、各省庁の設置法の審査がある。私は政策秘書として全省庁の東大卒の優秀な官僚たちと面談したが、一歩も引くことはなかった。

 私は微生物のように浸透できるところには辺りかまわず浸透する。だから強い。学陽書房から出版した「官僚たちの聖域」は永田町界隈を震撼させた。環七の大気汚染対策では国会議員を動かし土壌浄化法の導入に環境庁予算5億円投入させた。また、都政担当の記者経験を活かし、地元の雨水対策に都の予算2000億を付けさせた。この工事は地下50メートル下に直径5メートルの鋼鉄の管を馬込から森ケ崎下水道処理場付近まで埋設し、溢れた水は海に流し、溜まっている水は防火対策に利用するというもの。これによって集中豪雨による水害は完全に解消された。

 最近の安倍政権の横暴ぶりと情けない野党の追及ぶりには呆れてものが言えない。夜な夜な私が質問席に立って自民公明を厳しく攻める夢を見る。王(政権)を変える方法は3つある。

 ① 最初に言った発言と後に行った発言の違う証拠を突き付けること。

 ② 閣内不統一の証拠を突き付けること。

 ③ 王の言ったことと現場は違っていることを突き付けること。

 これこそが政治を変えることができる要諦である。しかし、これが出来ていない。これが出来たときは座り込みしても絶対に許さないことである。浜こうサンのように机をぶん投げたっていい。小悪でも大悪を倒すことは大善になる。器物損壊の責任をとればいい。そのくらいの土性骨のある議員が出て欲しい。

 そして、トランプ大統領には困ったものだ。世界経済をダメにしている。これは万死に値する。最強の国が自国ファーストでは困る。北朝鮮も含めてみんなエゴを無くして仲良くやってもらいたい。

 百里の道も一歩から、私は来年76歳になるが、釈迦と日蓮大聖人の本当の教えを説く「日蓮正宗法修寺・地涌の会」の代表として火の玉となって地球と人々を守りたいと思う。

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創価学会の教義改正に矛盾はないのか


 平成26年11月7日、創価学会は第67回総務会において教義条項の改正を議決した。私は地涌の会の会主として、その改正内容の是非についてずっと考えてきた。

 というのは、私も学会ほどではないが、日蓮正宗法華講には決別ではないが一歩距離を置いた在家中心の新宗派を創設したいと考えてきたからである。

 何故かと言えば、私には60年にわたる仏道修行の結果得ることができた絶対的な確信、即ち、釈迦と日蓮大聖人の本当の教えを学び実践する以外には、個人の幸福と世界平和の実現は出来ない、があるからである。

 今日、わが地涌の会以外に釈迦と日蓮大聖人の本当の教えを説く宗派はどこにも見当たらない。したがって、地涌の会は永遠に発展していかねばならない。このことに異議ありと思う人あらば、ぜひお会いして対話をしたいものである。

 さて、学会の教義条項の改正(?)の内容であるが、何と言っても本尊問題の変更に触れなければならない。

 学会は本尊とは学会が受持の対象として認定した本尊であり、謗法の地に有る弘安2年の日蓮大聖人の出世の本懐の御本尊は受持の対象にしない、と言うのである。果たしてこの判断は正しいといえるのであろうか。

 第1に学会は創立以来、長年にわたって弘安2年の本門戒壇の大御本尊を絶対的なものと会員に指導してきたが、それは間違っていたので変更します、と言うのであろうか。もしそうであれば会員に対するこれ以上の背信行為はないであろう。

 「謗法の地に有る」からと、取って付けたような理由をが述べているが大御本尊はいずこの地にあろうがそのものの功力が変わることはないし評価は変わるものではない。ダイヤモンドはたとえ泥の中にあってもその価値は変わることがないのと同じである。   宗門の汚点を批判することはあっても大御本尊との決別宣言は後世に禍根を残しはしまいか。

 第2は弘安2年の大御本尊について日蓮大聖人は「日蓮が魂を墨に染め流して書きて候ぞ」と述べておられるが、学会は近年、宗門と別れたことを「魂の独立」ができたと喜んでいる。弘安2年の大御本尊との決別による学会の魂の独立は、大聖人の魂との独立・決別を意味している。果たしてそれでよいのであろうか。

 第3に学会の総本部・大聖堂に安置されている御本尊は、日蓮正宗第64世日昇猊下が書写されたものである。

 学会は宗門と別れてからは、例えば第67世日顕猊下については前の第66世日達猊下からの相承を受けていないためニセ法主だと批判し、ニセ法主日顕からバトンタッチした第68世の日如猊下もまたニセ法主だと一刀両断に切り捨てている。

 しかし考えてもみよ、日蓮正宗大石寺の歴代猊下の歴史を見れば第64世日昇猊下にいたるまでの過去においては、何度も法主の血脈相承が途切れたことがある。

 となると、学会の総本部・大聖堂に安置された本尊もニセ法主の日昇が書写した本尊ということになるではないか。この矛盾をどう説明されるのであろうか。

 学会がこの教義条項の改正を改めないというのであれば解決策は唯一つ、会員が師匠と仰ぐ池田名誉会長書写の本尊を大聖堂に安置し、会員には池田名誉会長が開眼供養した複写本尊を授与すればよいと私は思うのである。それが出来ないというのであればその理由をお聞きしたいものである。

これらの点について地涌の会の理論整備は完ぺきに出来ている。

 しげき故に今回はここまでにしておきたい。

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久しぶりの熱海一泊旅行

今週、久しぶりに熱海一拍の旅行に出かけました。参加者は大田区議会議員OBのメンバー8人。熱海駅前の商店街はすっかり変わっていました。名所めぐりの周遊バスに乗って起雲閣を見学しました。大正・昭和のロマン溢れる名邸で、山本有三志賀直哉谷崎潤一郎太宰治等の文豪たちに愛されてきました。

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本門戒壇の大本尊から月々日々に遠のく創価学会

 西暦1279年(弘安2年)の今日・10月12日は、日蓮大聖人が出世の本懐たる本門戒壇の大本尊を造立された記念すべき吉日である。

 このことは大聖人が「種種御振舞御書」に「仏(釈迦)は40余年・天台大師は30余年・伝教大師は20余年に出世の本懐を遂げ給う・・・余は27年なり」とあることから明らかである。

 そして、この大本尊については「経王殿御返事」に、「日蓮がたましひを墨にそめながしてかきて候ぞ信じさせ給え仏の御心は法華経なり日蓮が・たましひは南無妙法蓮華経に・すぎたるはなし」と述べておられる。

 そして今、この大本尊は、興門派といわれる二代目・日興上人に連なる日蓮正宗の総本山・大石寺に厳護されている。この大本尊については、日蓮正宗の第27代目の日寬上人は「弘安2年の本門戒壇の御本尊は、究竟中の究竟、本懐の中の本懐なり、既に是れ三大秘法の随一なり、況や一閻浮提惣体の本尊なる故なり」と述べている。

 即ち、日蓮門下にあっては、この本門戒壇の大本尊こそが信仰の根本であり、全世界の人々が個人の一生成仏と世界平和を祈願する対象であることは疑う余地はない。

 我が地涌の会は本日、日蓮正宗第66世・日達上人猊下の常住御本尊に厳粛な五座の勤行を行う中で、本門戒壇の大本尊にたいする遥拝のお題目を懇ろに唱え、広宣流布の強い決意を固めました。

 一方、日蓮大聖人直結の宗教団体であることを主張している創価学会の機関紙「聖教新聞」では、本門戒壇の大本尊のことは一切報道していない。社説にあったのは「あす、大聖人御入滅の日」と題して本日は、「大聖人の正義の闘魂を受け継ぎ」「強盛の菩提心を”発す”日」と定義付けていた。

 学会は随分変わったものですね。このような社説は明日の社説で「今日、大聖人御入滅の日」として報道するのが至当ではないでしょうか。なのに、次善の策として明日のことを今日報道せざるを得ないタイミングの悪さの裏に何があるのでしようか。

 本門戒壇の大本尊から月々日々に遠のく創価学会、そして公明党、その行く末に良いことがあるのであろうか、かつて池田先生から「本弟子」の称号を頂いたことがある私は、非常に心配している。

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悩み苦しみから離れる方法

 人間にとって精神的な悩みと肉体的な苦しみは、多かれ少なかれ何人にも襲い掛かってくるものである。この厄介な悩み苦しみから離れるにはどうすればよいのか。

 この難題について日蓮大聖人は次のように説いている。即ち、「衆生本有の妙理を観ずべし」と。衆生、即ち人間が、本有、即ち本来元々自分自身が所持している妙理を観じなさい、と。逆に言うならば、衆生本有の妙理を観ずることが出来なければ、悩み苦しみから解放されることは出来ないと言うのだ。

 しからば、衆生本有の妙理とは何なのか。これが根本的なテーマと言えよう。ズバリ明かしましょう。妙理の妙とは、「只我が一念の心・不思議なる処を妙とは云うなり」と。さらに不思議とは「心も及ばず語も及ばず・・」また有でもなく無でもなく有無でもなく「有無に徧して中道一実の妙体」即ち南無妙法蓮華経という仏の生命のことをいうのであると。

 したがって、南無妙法蓮華経という仏の生命を認められた本尊に南無妙法蓮華経と唱えたときに、衆生本有の妙理を観ずることができ、その時に悩み苦しみから離れることができるということが結論なのだ。あとはやってみるしかない。私はこのことについて絶対的な確信を持っているので、縁ある人にお勧めしている。

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貴乃花、政界進出か

 来年の7月には参院選がある。安倍総理は念願の憲法改正を実現するためには、何としても負けるわけにはいかない。沖縄県知事選での大敗北のショックは大きく、参院選での巻き返しは厳しいと言われている。

 この窮地を乗り切れるかどうかは、比例区の名簿に大量の得票が得られる人物を搭載できるかも一つのカギとなる。これまでも自民党は国民的人気の高いタレントをスカウトしてきた。とくに、スポーツ界ではスピードスケートの橋本聖子、プロレスラーの馳浩、野党では女子柔道の谷亮子、プロレスラーのアントニオ猪木、関取の旭道山、等々。中でも馳浩は文科大臣を経験している。

 こうしてみると貴乃花などは日本中にフアンが多いので、過去最高の50万否100万票を取るかもしれないとうわさされている。今般、貴乃花相撲協会の改革を目指したがいじめに遭って引退を余儀なくされたとみる国民が多く、今後は国会議員になって八角理事長や阿武松理事らより上の指導的立場で活躍してほしいことを期待する人が意外と多いのである。

 私は長年、釈迦と日蓮大聖人の生命哲学を学んできたので、相・性‣体の三如是のうち、その人物の顔の表情(相)とそのときの体つき(体)を見れば、何を考えているか(性)は大体分かる。

 先日、貴乃花馳浩氏に相撲界引退の報告の後、議員会館前で記者のインタビューに答えるテレビ報道を見たが、満面に喜びを隠しきれない表情が印象的だった。政治家としての貴乃花の能力は未知数だが馳浩氏などの先輩の指導があれば十分に活躍は期待できる。

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