2018-02-01から1ヶ月間の記事一覧
市川雄一氏は独特な考えを持つ人物だった。 私が市川氏の第1秘書になったときに最初に言われたことは、私の党内における友人について、すべて断絶することを要求してきた。 曰く「お前が付き合っている○○は国対委員長派の男だからこちらの情報が洩れないよう…
市川雄一氏が代議士になったとき、私は初代の公設第一秘書にスカウトされた。この話は代議士から直ではなく、寺島秀幸次長を介しての打診であった。後で分かったのであるが、私の前に打診された人がいたようである、が、市川氏はあまりにも厳しい人なので皆…
永遠の空席と言われた創価学会の参謀室長に任命された市川雄一氏は、独特の思考パターンを2,3持っていた。 一つは逆算の思考である。これは公明党の機関紙局長時代に身に着けたものである。 日刊紙の朝刊新聞作りで大事なことは、決められた時刻までに印…
「永遠の空席」と思われていた創価学会の参謀室長に任命された市川雄一氏。このポストに就く者は、池田大作氏の後継であり次期会長に就任される人とうわさされていた。 当時、政界では上田・不破兄弟が率いる日本共産党が、民主連合政府樹立の構想を掲げ、人…
公明党元書記長の市川雄一氏が昨年12月亡くなった。私は、市川さんが公明新聞の機関紙局長だった時に社会部の記者として仕事をしていた。 私は元々は大学を卒業後は創価学会の本部職員になりたくて面接試験を受けた。当時は政教一致丸出しの時代であったから…