沖縄県知事選の結果が意味するもの
翁長県知事死去に伴う沖縄県知事選は、後継の野党統一候補の玉木デニー氏が、自民公明と日本維新の会が推した佐喜真淳氏に8万票の大差をつけ勝利した。
このような選挙結果を予想できた人は少ないのではなかろうか。正直言って私は驚いている。何故なら、自民公明の異常な熱の入れようを見ていたから、これほどの大差をつけて玉木氏が勝つとは思ってもみなかった。
自民党は県知事選の重要性を早くから自覚し、二階幹事長と菅官房長官が何度も沖縄入りして組織固めを行った。また、人気の高い小泉進次郎氏や東京都の小池知事なども応援に投入した。さらに、政権与党の公明党・創価学会も全国から大量の動員をかけ期日前投票の連れ出しに全力を挙げて戦ったのである。
しかし、結果は大敗。その原因は、自公連合は最大の争点である辺野古移設問題をあいまいにして、携帯電話料金を4割程度引き下げるなどと、カネで票を取ろうとした姑息な態度が県民には通用しなかったということであろう。
今回の選挙で私が注目したのは、組織決定を無視して三色旗を振って玉木氏を応援する創価学会の幹部の姿がたびたび見られたことである。この幹部はテレビの取材に応じ、公明党の沖縄県本部は一貫して辺野古新基地建設は反対と言ってきたのに賛成に態度を変えたことが許せなかったと述べていたが当然であろう。
一昨日、マスコミ関係の友人から電話があって、面白い話をしてくれた。それは、最近の学会員は車で連れ出しされても公明党には投票しない人が増えているというのだ。したがって、投票に連れ出しすればするほど相手候補を利する傾向があるというのだ。それほど腐敗した自民党にすり寄る公明党・創価学会に嫌気を指している学会員が増えているのである。今回の沖縄県知事選は来年行われる統一地方選と参院選に向けて潮目が変わる選挙だったと言える。
言うと言わざるとの重罪ま逃れ難し
このタイトルの言葉は日蓮大聖人が門下に送ったお手紙の一節である。
教学力のある弟子が智に走りすぎ、仏教の本義からズレていることを気にはしていたのだが、そのうち気付くであろうと注意しなかった。その結果その優秀な弟子は正道を踏み外し大罰を受けてしまう。
このことに関し大聖人は、小さなことであっても注意しておけば良かったなと、自分にも責任があると自戒の念を吐露され、この重罪はま逃れることは出来ないと述べておられるのである。即ち、どんなに些細なことであっても注意してあげることの大切さを教えてくださっているのである。
今般、国民的人気の高かった元大横綱の貴乃花が、角界を去るとのニュースが話題になっているが、誰か貴乃花を指導できる人は居なかったのであろうか。逆に魂を込めて箴言したという相撲協会の役員もおられたようだが、逆効果で貴乃花を退職に追い込んでしまったことは言い方に問題がなかったのかどうか。私は今「言うと言わざるとの重罪ま逃れ難し」の御金言をかみしめている。
③根本尊敬の本尊と十界の生命
釈尊と日蓮大聖人は、人間の生命の様相・状態の境界・境遇には10種類あると説いています。この十界は瞬間瞬間の時間の流れの中で顕れたり消えたりを繰り返しています。下の生命・境界から上へ順次ご説明しましょう。
①地獄界 地は最低、獄は不自在拘束の意。苦しみに押しつぶされ脱出しようとしても全く身動きが取れず悶え苦しんでいる状態をいいます。
②餓鬼界 果てしない貪欲に身も心も支配され、がつがつした状態をいいます。
③畜生界 動物的な本能に支配された状態で、理性を欠き目先のことにとらわれる。また、強者を恐れ弱者をあなどる生命も畜生界であります。
④修羅界 他人に勝とうとする勝他の念が強い。自己中心的で暴力的怒りの生命。
⑤人界 和を好み平静に物事を判断する生命状態。
⑥天界 歓喜に満ち喜び絶頂状態の生命を言います。
⑦声聞界 仏の教えを聞いて悟りを得たいと探求する生命状態。
⑧縁覚界 自然現象を縁として物事の理を悟った境界。
⑨菩薩界 利他の実践で一切衆生を救済しようと行動する境地。
⑩仏界 円満自在にして完全なる金剛不壊の生命をいう。その力用は一切諸法の根本 の真理を体現し三世(過去・現在・未来)にわたる因果律を把握したうえであらゆる人 を成仏させる力を持つ。
①から③を三悪趣また三途と言い、これに④を加え四悪道と言います。①から⑥までを六道といい、通常の人間の生活はこの六道を繰り返すことから六道輪廻と言います。
⑦と⑧を合わせ二乗といい、この特徴はそれぞれなんらかの悟りを得て六道を超越してはいるが、自分だけの悟りに留まっています。
さて、この十界のうち、どの界の生命を根本尊敬の本尊とすべきかは自ずと明らかであろうと思います。ズバリ、仏界の生命をこそ本尊とすべきことは明らかであります。 しかし、誰人の生命の中にも仏界という尊極無上の生命が存在しているのですが、日蓮大聖人は仏界ばかりは現じ難し、と説いております。したがって、大聖人は我々の己心に内在する仏界の生命を顕現する方法を教えてくれているわけです。(次回に続く)
②有川会主創立の「地涌の会」とは何か。本尊編その1
シリーズ「地涌の会」とはなにか。今回は地涌の会の本尊についてお話いたします。宗教で最も大事なものは、いかなるものを本尊としているかであります。
本尊とは根本の本と尊敬の尊をとって簡略したもので、地涌の会が根本的に尊敬しているものは何か、ということであります。宗教と言うと私は関係していない、と言う人が大勢いますが、無宗教の人であっても根本的に尊敬しているものは必ずあるはずです。
例えば人生で一番大事なものはお金であるとして、金儲けに必死になっているのであれば、その人にとっての本尊はお金ということになるのです。また、議員バッジをつけて政治家になりたいと必死になっている人などは、議員バッジを取得することが本尊になって生きているわけです。中にはセックスの妄想に支配されて生きている男女がいれば、それが本尊になっているわけです。
そこで私がが申し上げたいのは、誰人にも本尊はあるのであり、それがその人の宗教であるということであります。ですから、何を本尊とするかによってその人固有の宿命が形成され、結果としてその人に幸が不幸の現証が出ます。この因果の理法ほど厳しいものはないのです。オマケも割引も一切無いと断言しているのです。
したがって、何を本尊として生きるべきか、これほど大事なことはないわけです。さて、釈尊と日蓮大聖人は、本尊はより優れたものを拠り所にしなさいと述べ、人間生命の実体を10種10段階があることを説いています。それが十界論であります。すべての人間の本尊は、この十界の生命のどれかに基づいていると説いているのであります。
瞬間瞬間に発動する十界の生命のうち、どの界の生命が本尊になっているかによってカルマは作られます。善因善果は仏となり、悪因悪果は地獄をもたらすと説いているのであります。それでは十界について次回にご説明いたします。
釈尊と日蓮大聖人の本当の教えを学び実践する「地涌の会」とは①
皆さんお元気ですか。私はこのほど、釈尊と日蓮大聖人の本当の教えを学び修行実践する「地涌の会」という任意団体を創立いたしました。したがって、この会の創立者である私は会員の総意で会主になりました。これから「地涌の会」の内容について数回にわたり分かりやすくご説明したいと思います。
まず、「釈尊」とはお釈迦様のことであります。即ち、インドに生誕した仏教の始祖と言われるブッダであります。釈迦族の中で最も尊い人、ということで釈尊というわけです。
そして日蓮大聖人とは日本に生誕し、釈尊の本当の教えを学んだ末に、南無妙法蓮華経という題目と本尊を建立し死身弘法された僧侶であります。
ちなみに「大聖人」とは敬語ではなく仏様の別名なのです。仏教では偉大な人物を大人と言い、過去現在未来の三世を知る人を聖人といいます。日蓮は大人であり聖人であることから大聖人と自称されたのであります。
次になぜ釈尊と日蓮大聖人の本当の教えという組み合わせなのかについてお話いたします。ここには二つの意味が秘められています。一つはなぜ釈尊と日蓮大聖人の組み合わせなのか、二人の関係についての質問に答える必要があると思っています。
二つ目にはなぜ「本当の教え」と言っているのかとの意味を明らかにせねばならないと思っています。はじめに釈尊と日蓮大聖人の組み合わせ必然性についてお話いたします。
現代人の多くの人は仏教と言えば念仏宗の法然とか親鸞とか、また真言宗の弘法大師や禅宗の達磨大師などを連想します。しかし、これらの僧たちは仏祖・釈尊の教えに違背しているのです。
釈尊は自身の50年にわたる説法について、死ぬまでの最後の8年間に説いた法華経こそが「最大一」と言われ、法華経以前の教えは法華経を説くための仮の教えであるから、すべて捨てなさいと断言されているのです。
この釈尊の教えを最も忠実に守り法華経を宣揚されたのが日蓮大聖人なので、この二人の関係は切り離すことは出来ず、セットで解明することが大事なのであります。
次に、当会がなぜ「釈尊と日蓮大聖人の本当の教え」と強調するのかと言えば、間違った教えがあまりにも沢山横行しているためなのであります。
①の終わりに「地涌の会」は釈尊と日蓮大聖人の本当の教えを学ぶだけではなく、それを会主と一緒に修行し実践する会であることを宣言し、多数の入会者を募っていきたいと思っております。興味関心のある方は今すぐ090-7825-6257番までご連絡ください。お待ちしております。
安倍内閣は即刻総辞職した方がい
安倍政権に激震が走った。森友学園への8億円の用地値引き問題で、遂に佐川国税庁長官(元理財局長)が辞任した。土地の売買契約について直接交渉にあたった関西財務局の職員が自宅で首つり自殺を図ったとの報道があった矢先のことである。
私は佐川氏の辞任の理由に注目していたが、全くもっていただけない発言に腹が立つ。辞任の理由について佐川氏は、国会審議の混乱を招いた、また、行政文書の管理状況について様々な指摘を受けた、などと述べていたが、私は「違うだろう!」と言いたい。
こんな曖昧な理由を国民は絶対に許してはならない。まず、佐川氏は、森友学園との交渉記録は廃棄した、と明言したが、それは嘘でしたと謝罪すべきである。また彼は「電子データーは短期間で消去され復元できないシステムになっている」と明言したが、これも嘘でしたと謝罪すべきだ。さらに、「価格はこちらから提示したことはない」「先方からいくらで買いたいといった希望もなかった」と明言したが、これについても嘘をつきました、と謝罪すべきである。これこそが辞任の理由であろう。
こうした嘘があったが故に国会審議の混乱が起きたのであり、国会審議の混乱は結果として必然的に起きたにすぎず、辞任の理由はその基にある佐川氏の嘘八百の虚偽答弁そのものに由来するのだ。このことを正直に国民に謝罪すべきではないのか。
佐川氏の数々の虚偽答弁が崩壊する中で、野党各党は佐川氏の国会招致を要求しているが、与党はこれに応じようとはしない。特に、庶民の党を標榜する公明党が自民党と一緒になって臭いものにふたをすることに加担しているがこれでいいのか。
さらに、佐川氏の上司である麻生財務大臣に至っては、反省の気持ちが全く見られず偉そうに上から目線でとんでもない発言を繰り返している。
即ち、佐川前理財局長は「丁寧な説明に務めてきた、適材だ」とか「極めて有能な役人だ」と。この期に及んでも佐川氏を持ち上げているのだ。国民の感覚と真逆の麻生氏こそ責任を感じて大臣を止めるべきと思う。
そしてこんな佐川氏を国税庁長官に任命した安倍総理の責任は重大だ。ところが総理は財務省がやったことであり私には関係ないとの知らんふりを決め込んでいる。問題なのは次の発言だ。
「それぞれのポストに最もふさわしい人材を適材適所で配置するという考え方に基づいて行った」と。国民に確定申告をお願いすべき時に辞任するような人物のどこが適材適所と言えるのか。そもそも、森本学園問題の根源には安倍総理婦人が脱税で逮捕されるような理事長と懇意になったために起きた事件ではないかとみる人は多い。いまや安倍内閣は即刻総辞職したほうが国益に適うというべきであろう。
市川雄一秘話⑥-これが理論家の真骨頂
東大の助教授だった菊池昌典氏は市川雄一氏について、「彼は政治家と言うよりは、書生ぽい人ですね」と評したことがある。
その理由は、市川氏の読書量の多さと多岐にわたるジャンルの幅に驚いたらしい。確かに身近にいた私から見ても同感である。
市川氏は常に新聞の書籍広告には目を通し、機会あるごとに書店に足を運んでいた。そして新刊本のページをめくったときに伝わってくるインクの匂いがたまらなく好きだ、ということを言っていた。まさに本の虫といって良いだろう。
秘書として私はいろんなところに同行することがあったが、例えば旅先で駅のホームで電車を待つ時間があると決まって売店で新聞・週刊誌を買った。その時、私に新聞をよく読めと薦めた。何故なら、新聞記事はいつ、どこで、だれが、何を、なぜ、どのように、という記者には欠かせない5w1hが的確に書かれているからこれを身につけよと。
また、週刊誌を読むときはまずタイトルを見て、自分だったらどこを取材し記事をどのように展開するか考えてから読めと。そのときに週刊誌の記者と自分との能力の差が分かり力が付くのだ、と。さらに、世に理論家と言われる人物の本質はどこにあるかについて、論理の組み立てにおいては、鉄のパズルをはめ込むように寸分の隙間も作らない人物を言うと教えてくれた。さらに、真の理論家こそ鉄の意志を持つ真の実践家なのであって、理論家でなければ実践家にはなれないことを教えてくれたものである。