大半の人が分かっていないことー市川雄一秘話④
市川雄一氏が代議士になったとき、私は初代の公設第一秘書にスカウトされた。この話は代議士から直ではなく、寺島秀幸次長を介しての打診であった。後で分かったのであるが、私の前に打診された人がいたようである、が、市川氏はあまりにも厳しい人なので皆が遠慮したようである。
私は経理部から機関紙局に人事異動して間もない時期であったので、あまり深く考えもせずにお受けした。それからというもの、秘書業を通じて地獄の猛特訓を受けることになる。
細かいことは話せないが、市川秘書になったことで私は、大半の人が分かっていない大事なことを実践を通して学ぶことができたと感謝していることがある。今日はそのことを公開したい。
議員会館には様々な業界団体や個人からの陳情事が毎日のように沢山飛び込んでくる。それらの処理については、秘書は○○さんからこのような陳情がありました、と、内容を正確にまとめて代議士に報告すれば済む話ではある。
ところが市川氏は違っていた。「俺はどうすればいいんだ」と私に回答を求めてくるのだ。代議士に降りかかってくる全ての問題に、私が市川氏の立場に立って回答付きの報告をしなければ報告自体が出来なくなってしまったのである。
広汎な調査や取材をして回答付きの報告をすることを余儀なくされたわけである。本会議質問や予算特別委員会などでの質問事項も私が第一義的に作ることになってしまった。しかし、陳情事の回答や国会質問の原稿などは、代議士に報告・提出すればそれで終わりではなかった。
報告を受けた市川氏は、その内容を精査し、私の判断の問題点を厳しく追及してくるのである。市川氏は、私の何事も自分でとことん考えない悪い癖を直そうと猛訓練してくれたのだと思う。
「いいか有川、人生、自分に降りかかる問題はどうすべきかについて、胃が痛み血便がでるまで自分の頭で考え抜くのだ、よし、これで行こう、これが最高の結論だ、と。そのうえでしかるべき人に相談をすることはいい、自分の結論を出さずにすぐ他人に相談する人物は幾つになっても人間としての質的向上はない。世間にはそういう薄っぺらな人間があまりにも多すぎる。そういう人間は心臓は動いていても死人と同じだ。自分の最高の答えを持ったうえで先輩に相談する、そこでなるほどと思えるアドバイスがあったときに自分と先輩の違いが分かる、そのときにのみ人間の質的成長があるのだ」と。まさに男子の一言金鉄のごとしの逸材であった。