有川靖夫の日記・地涌の会のブログ

釈尊と日蓮大聖人の本当の教えを学び実践する会

②有川会主創立の「地涌の会」とは何か。本尊編その1

 シリーズ「地涌の会」とはなにか。今回は地涌の会の本尊についてお話いたします。宗教で最も大事なものは、いかなるものを本尊としているかであります。

 本尊とは根本の本と尊敬の尊をとって簡略したもので、地涌の会が根本的に尊敬しているものは何か、ということであります。宗教と言うと私は関係していない、と言う人が大勢いますが、無宗教の人であっても根本的に尊敬しているものは必ずあるはずです。

 例えば人生で一番大事なものはお金であるとして、金儲けに必死になっているのであれば、その人にとっての本尊はお金ということになるのです。また、議員バッジをつけて政治家になりたいと必死になっている人などは、議員バッジを取得することが本尊になって生きているわけです。中にはセックスの妄想に支配されて生きている男女がいれば、それが本尊になっているわけです。

 そこで私がが申し上げたいのは、誰人にも本尊はあるのであり、それがその人の宗教であるということであります。ですから、何を本尊とするかによってその人固有の宿命が形成され、結果としてその人に幸が不幸の現証が出ます。この因果の理法ほど厳しいものはないのです。オマケも割引も一切無いと断言しているのです。

 したがって、何を本尊として生きるべきか、これほど大事なことはないわけです。さて、釈尊日蓮大聖人は、本尊はより優れたものを拠り所にしなさいと述べ、人間生命の実体を10種10段階があることを説いています。それが十界論であります。すべての人間の本尊は、この十界の生命のどれかに基づいていると説いているのであります。

 瞬間瞬間に発動する十界の生命のうち、どの界の生命が本尊になっているかによってカルマは作られます。善因善果は仏となり、悪因悪果は地獄をもたらすと説いているのであります。それでは十界について次回にご説明いたします。