有川靖夫の日記・地涌の会のブログ

釈尊と日蓮大聖人の本当の教えを学び実践する会

私がめざす仏界という最高の生命について

 仏教はあくまでも内道を説くもので、外道とは違い、わが身の中にある己心の生命の実体を説いているのです。ですから、宇宙の根本法などと言って、宇宙の何処かに根本法が存在し、そのリズムに我が身の生命のリズムを合わせる、などと説く教えは、外道の考え方であって釈迦や日蓮大聖人の教えではありません。

 仏教の要諦は内道であり基本となる法理が十界互具論になります。今日はこのことについて解説いたします。

 十界とは時間の流れの中で、瞬間瞬間に表れる生命の境地を説くもので、10種類あると洞察しています。即ち、地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界、人界、天界、声聞界、縁覚界、菩薩界、仏界の10種類です。この中で仏界ばかりは現じ難いと言われています。

 仏界の境地とは完全な円満で、かつ自由自在の境地を言います。また森羅万象の理に通達し、過去・現在・未来の三世にも通達しています。さらには、一切衆生を包含し、制御し、幸福に導く知恵と力を兼ね備えた境地の人物と説かれています。

 先に述べた十界の個々の生命には十界の生命が備わっていると説き、このことを十界互具といいます。ということは、我々について言うならば、まず、我々は人間に生まれてきたわけですから基本の生命は人間界の境地と言えます。

 人間界の生命の基本の境地は、和を好むことが特徴であります。しかし、十界互具ですから、戦争行為に走るような修羅界の境地にも変化するわけです。しかし、前述したように、仏界の生命だけは自分の力では表すことがことができません。したがって、日蓮大聖人は石中に火を、木中に花を現ずるごとく困難なことである表現されたのであります。私はこの仏界の境地に到達したいがために、60数年間修行してきました。

 私が代表を務める「地涌の会」では誰でもがこの仏界の生命を現じ、その力用をこの世で思う存分に発揮できる方法をお教えしております。お金の御心配はご無用です。私や理事長が直接お会いしお手伝いさせていただきます。090-7825-6257

久遠元初の誓願と真の魂の独立

 釈迦と日蓮大聖人の本当の教えを学ぶ「地涌の会」の有川靖夫です。

 今日は、久遠元初の誓願と魂の独立という大事な話をしたいと思います。釈迦が説いた法華経を知らない人々は、釈迦がいつ悟りを得て成仏したのかについてわかっていません。

 インドのマカダ国の王子として育った釈迦は、16歳のときに世間的な快楽を嫌い、思想的な満足を得たいと願い、出家して様々な師を求め学び修行をしました。この間、難行苦行を重ねましたが、30歳の時に現在のブダガヤの菩提樹の下に安座し瞑想を続けた結果、遂に誰人にも壊すことのできない絶対的な幸福境涯を取得しブッダとなりました。これが法華経の教えを知らない人々の認識です。

 しかし、釈迦は50年の説法のなかで、亡くなる前の8年間説いた法華経において、自らが悟りを得て仏となったのは久遠の昔に菩薩の修行をして仏になれたことを明かすのであります。即ち、永遠の生命、生命は永遠に続くものであることを説いたのであります。

 さて、日本に生まれた日蓮は出家して仏道修行に邁進します。そして32歳の時に南無妙法蓮華経を題目とする立宗宣言をし、58歳となられた1278年(弘安2年10月12日)に出世の本懐たる本門戒壇の大御本尊を造立されました。

 立宗宣言から戒壇の大御本尊を造立されるまでの如説修行を続けられる中で、法華経の布教活動を展開したがゆえに被った数々の法難が、釈迦が予言したことと寸分違わぬことから、自らが仏教の本仏であることを確信されるわけです。

 ということは、釈迦は本仏に非ず迹仏になるのであります。ということは、久遠の昔に釈迦が仏になれた菩薩道の実態こそ、久遠の当初(さらに遠い)たる久遠元初において本佛として悟られた日蓮大聖人の当体である南無妙法蓮華経の唱題によって仏になれたことになるのであります。

 そして、この久遠元初において日蓮大聖人に南無妙法蓮華経の下種を受けた本眷属(地涌の菩薩)が、釈迦滅後2000年以後の今日にあたる末法(釈迦の教えが衰えて成仏ができない時代のこと)の世に生まれ出て広宣流布することを誓った説いているのであります。

 さらに、本仏である日蓮大聖人の教えによれば、本門戒壇の大御本尊は「日蓮が魂を墨に染め流して書き手候ぞ」というものであることを断言されている。

 以上のことから本日の創価学会の機関紙「聖教新聞」に掲載された池田大作氏のメッセージにある「魂の独立」とは日蓮大聖人の出世の本懐たる本門戒壇の大御本尊に帰依すること以外には出来得ないのであります。また、それが出来てこそ日蓮大聖人直結の教団になれるのであります。

 逆に、本門戒壇の大御本尊に決別したのでは誤った魂への独立ということになるのであります。そして悲しいかな、本門戒壇の大御本尊を離れた教団では久遠元初の誓願も果たすことができなくなるわけです。日蓮大聖人の本当の教えでない教えに縁する気の毒な会員が世界中増えても他国侵逼の難を招くだけで真の広宣流布とは言えないわけであります。後世のために今日は以上のことを述べておきます。

安倍政権に諸天善神の加護はない

 いよいよ明日は2018年の新年を迎えます。今年も様々なニュースがありましたが、日本にとって最も懸念されたことと言えば、北朝鮮の脅威ではなかったかと思います。

 何故こんなことになってしまったのか、必ず原因があるわけです。世の識者の見解は概ね、アメリカと北朝鮮の対立があって、日本は日米安保条約によってアメリカ側にあるために、たえず北朝鮮の攻撃の対象になるというのであります。

 このことは北朝鮮が明言していることから疑う余地はないと言える。特に安倍総理トランプ大統領とは親密な関係にあり、対北朝鮮政策ではきっちりと歩調を合わせている。特に北朝鮮に圧力をかけることについては、先頭に立って国際社会に呼びかけをしているため、余計に日本憎しの意識が高まるのであろう。

 そうなると彼らには日本列島を地球上から失くしてしまうことは容易にできる能力をもっていることから、よけい日本国民の不安は高まる。

 もっとも、北朝鮮が日本に対して核を搭載したミサイルを飛ばすには、アメリカとの全面戦争を覚悟しなければ出来ないことであるから、簡単に出来ることではない。しかし、だからといって、楽観視することは出来ない。

 対北朝鮮との戦争は、日米韓側と北朝鮮の双方において、軍事力行使のタイミングが大きく左右するため、それをいつと判断するかギリギリの決断が重くぶら下がっている。

 日本が今、このような状態に置かれているということは、かつて二度にわたって蒙古襲来に遭遇した歴史があったことを想起させられる。この蒙古襲来を予言した人物は日蓮大聖人である。その根拠については、日蓮の国家諌暁の書である「立正安国論」に明らかにされている。

 即ち、結論を述べるならば、政権を担っているものが、正しい仏の教えに背き、逆に批判するために諸天善神の加護を失い他国から襲われるという「他国侵逼の難」が起こるというのである。

 釋迦と日蓮大聖人が説く正しい教えとは、現代においては釈迦が最高の教えと自ら断言した妙法蓮華経という法華経であり、そこに帰命することを説いた日蓮大聖人の南無妙法蓮華経の本尊を根本にするということになるのである。

 日蓮大聖人は自らの究竟中の究竟の本尊として弘安2年10月12日に本門戒壇の大御本尊を建立された。したがって、この大御本尊に帰依するか違背するかが、安国になるか他国から攻撃されるかの分岐点になるのである。

 残念ながら安倍政権を支える公明党創価学会は、かつてはこの大御本尊に帰依して未曾有の大発展を遂げたが、今日においてはここから離れてしまったのである。今後どうなるかは推して知るべしである。

都民の一人として小池百合子都知事に一言

 私は東京都民の一人として、小池百合子氏が都知事選に立候補した時から今日に至るまで、テレビ新聞雑誌を通して細大漏らさず彼女の動向をウオッチしてきた。その観点から、小池氏に対する私なりの評価と感想を述べたいと思う。

 このようなことを書きたいと思った動機は、衆院選後のマスコミ及び都民の小池評があまりにも軽薄すぎると情けない気持ちにかられたからである。私にとって小池百合子氏は心底只者ではない力を持つ政治家であると敬意を表するものがある。

 まず、都知事選についていうなら、女性でありながら、自公が推す総務大臣を務めた増田氏と一騎打ちの勝負に出て、圧勝した偉業は見事としか言いようがない。果たして彼女以外に誰ができ得たであろうか。          

 自民党と言えば、長期政権を維持してきた中で、町会・自治会をはじめ行政機関に連なるあらゆる業界・団体の固い組織票をを持っている政党である。また、増田氏を応援した公明党は、いまや安倍総理も離れられなくなった固い組織票持つ創価学会そのものの宗教政党であることは天下周知の事実である。

 したがって、固定票を持たない小池氏が自公が推す増田氏に勝つなどということは万が一にも考えられないことなのである。しかし彼女は誰人も成し得ないことを成し遂げたのである。  

 次に都政の課題であった築地市場豊洲への移転問題であるが、小池氏には、石原慎太郎氏の無責任な役人任せが原因で、盛り土がされていなかったり、危険な汚染水が出てきたりという前任者の負の遺産にメスを入れ、解決する義務を課せられたわけである。

 したがって、問題だらけの豊洲移転に待ったをかけ、食の安全安心を模索したことは評価されていいと思う。そもそも、土壌汚染のカオスのような東京ガスの用地の上に生鮮食料基地を建設することには、もっと慎重であるべきだったのである。築地ブランドは世界的にも有名で、築地か豊洲かの二者択一ではなく、両方を生かそうと考えたことは非難されることではない。

 また、オリンピック・パラリンピックの各種会場整備問題についても立ち遅れを追及する声があるが、不透明なまま膨大な予算が湯水のごとく使われようとしていた大問題に疑問を呈し、改善してきた行政手腕は高く評価されていい。

 さらに、都議選における小池氏率いる都民ファーストの候補者が、自民党公明党を抜いて都議会第一党に躍り出たことも小池氏の力によるものであった。

 さて、今回の総選挙においては、小池氏率いる希望の党都知事選や都議選のような結果を出すことはできなかった。その原因については多くの識者やマスコミが一致して指摘していることがある。それは、民進党の現役国会議員が人気の高い小池新党の希望の党に全員が鞍替えしようとしたのであるが、小池氏の配慮を欠いた排除発言によって失速したとの指摘である。

 小池氏がテレビで記者の質問に答えたこれらの発言の映像は、連戦連勝街道をまっしぐらに駆けぬいてきた自信が過剰になり、傲慢さが漂うものであった。

 しかし、私は当初から、国政選挙は政権選択選挙であることから、国家観や政策の違うものが塊をつくることには疑問を持っていたので、よくぞそこまで思い切った排除発言をしたものだと小気味よさを感じたものである。

 もしあの時小池氏が、安全保障問題や憲法改正問題で意見の異なる人の公認は難しい、と言っていれば大幅な失速には繋がらないであろうと思う。しかし、これは後の祭りである。千年の刈萱も一時に灰になる。政治家の発言は慎重であらねばならない。

 そうした中でも、総選挙の意義を知り、同時に小池氏の路線と自分は違うと思った枝野氏などは、小池発言や前原構想に対し恨み節を述べることなく立憲民主党をを立ち上げて望外の議席を獲得、野党第一党に躍り出ている

 小池氏の排除発言があろうとなかろうと、希望の党が50議席を獲得したことは実力相当だと思っている。誰が代表になってもバラバラで一致結束のできない民進党のままで選挙に打って出たなら、おそらく民進党は大敗したであろうと思う。

 小池氏の排除発言があったがために、民進党は三つのグループと無所属会派に分かれとので、国民にとってはそれぞれの考え方が分かりやすくなり選択しやすくなったことは瓢箪から駒といえよう。

 タカ派路線に走る安倍政権、役人の忖度に甘んじるしがらみの政治の自民党、さらに票頼みで一民間の宗教団体・創価学会にすがるつく自民党。これに対し希望の党改革保守を目指している。同時に国家間の異なる日本共産党との連携は視野に入れていない。

 今回の総選挙で、非自民非共産の中道政党が誕生したわけである。中道政治公明党がかつて標榜していた路線である。しかし、いまや自民党の補完勢力に甘んじ、中道政権をめざす気力を失ってしまった。正統な中道政党は希望の党に取って代われてしまったのである。

 最後に小池氏にアドバイスしたい。常に要領よく立ち振る舞う公明党は、小池人気が失速したとみるや、都議会の幹事長は今後は知事に対しては与党ではなく是々非々で臨むことを表明した。先の都知事選や都議選で風通しのよい都政を実現したのであるから、昔の仲間であった自民の都連会長と話し合って自民党を味方にし、公明抜きでも都政を円滑に運営できるようにしてはどうか。

 私の見るところ、日蓮門下と称しながら、本門戒壇の大御本尊から離脱し後戻りができなくなった公明党創価学会に未来は無いことは釈迦と日蓮大聖人の御金言に明らかである。今回の総選挙で失速したのは公明党でありこれが佛眼というものである。

改革保守の中道政治をめざす希望の党

 先の衆院選では民進党のドタバタ劇の結果、瓢箪から駒、国民期待の改革保守の中道政党が誕生した。所謂、小池新党と言われる希望の党だ。

 しかし、ちょっと変だと思いませんか。中道政治と言えば公明党が本家であったはず。そう言えば、公明党自民党連立政権を組んでから10年近く、中道政治を口に出さなくなった。まさに変質していたのである。

 即ち、自民党運命共同体になることによって、中道政治を放棄し右寄り政党の自民党の補完勢力になったしまったのである。

 そういえばかつて、公明党の書記長だった市川雄一氏が良く言っていた。ただ反対するだけで寝っ転がっている野党ではなんの成果もあげられない。公明党は自民政治に賛成する代わりに庶民受けする要望を出して、これを飲ませて成果を上げる、これが大事だと。いわゆるおねだり政治である。

 これが是々非々で政権に付かず離れずの時代はそれなりに評価できたが、自民党連立政権を組み、大臣ポストをとるようになったのでは、中道主義を掲げた王道を行く政治をできるはずがない。あくまで自民党の補完政党になったのである。

 即ち、中道主義を掲げた単独政権政党の道を放棄し、権力政党に媚びておこぼれを頂戴する政党になってしまったのである。なぜそんな情けない政党になってしまったのであろうか。

 いわずもがな、公明党創価学会ファーストの政党だからである。野党にいたのでは、いつなんどき池田名誉会長に攻撃の矢が及ぶかもしれないとの恐怖心が見え見えで、野党にいることは許されなかったのである。

 したがって、公明党は、地方議会においても寄らば大樹の陰で、屁理屈を付けては強い方にいとも簡単に寝返りする。先の都議選でも、長年の友党だった自民党に決別宣言をして小池与党に鞍替えした。

 公明党は国政と地方議会は違う、などと訳の分からぬことを言っているが、国政においてもこのままの状態が続くとは限らない。なぜなら、先の衆院選では、自民党は大量の議席を取ったが、公明党は6議席を失い、比例票も700万票を割る過去最低の得票だった。果たしてこのまま自民党に追随することが良いのかどうか、党内から異論が出るかもしれないのだ。

 中道という言葉は、本来、仏教用語であり中道法性という言葉に由来する。中道とは足して2で割る中間を選択することではなく、真実不変の本性との意である。この理念を政治に当てはめれば、包含・統一・リードということになろう。

 即ち、多くの人たちの意見を包含し、そこからベストの道を選択して統一し、一致団結して進む政治ということになろうか。意見の違う人であっても切り捨てず包含して離さない、そしてベストの道に組み込み統一された道を団結して進んでいく政治なのである。

 現実的には、タカ派の自民、しがらみの自民は非、国家観の違う共産党には非、非自民非共産の真ん中の王道を歩むのが中道政党といえよう。その意味で、改革保守を標榜する中道政治の担い手はいまや、公明党ではなく希望の党ということになる。

 このほど、希望の党の共同代表に選ばれた玉木氏には大いに期待したい。当世、小池氏の排除発言を非難する人が多いが、私は中道政治を期待する立場から評価している。右寄りになった公明党に代わって改革保守の中道政党が誕生したことは実に頼もしい。

 また、このような事態をつくった功労者は、まもなく希望の党に合流する前原氏であろう。こうした結果は想定内であったとしたら、これほどの大政治家はいないのではなかろうか。歴史は毛沢東が言ったように、正・反・合で流れるものである。共同代表選で玉木氏と違う意見を表明した大串の存在も大事である。しかし、異論反論はあくまで党内でのこと。決まったことには従うことも大事なことではなかろうか。誰もが自分の思い通りにはなかなかならない中で生きているのだから。

 

混迷する日本政治ー誰か王者の師を学ぶ

 衆院選が終わり新しい国会が始まろうとしている。大多数の国民は我が国を取り巻く様々な重要課題について与野党の論戦を期待していると思うのだが、これとは逆の現象が起きていることに私は失望している。

 その一番の理由は、自公政権臨時国会を避けようとしてしているとの報道があることだ。そのうえ、政府自民党は野党の質問時間を減らそうと考えていることだ。

 これまでの慣例では、与党対野党の質問時間は2対8の割合であった。これは自民党が野党時代に民主党政権に要望しそれを民主党が受け入れて決まったものであり、以前は3対7の割合であったのだ。

 自公政権が今回、野党の質問時間を削ろうとしている理由は一体何か。容易に想像できることは森友・加計問題の野党の追及を避けたいためである。

 森友問題では8億円の値引き問題の解明がされていないが、このほど会計検査院の調査結果では6億円の不正な値引きがあったことが発表されるとの報道がある。そうなれば理財局長や政府答弁と食い違うわけで大問題に発展しかねない。

 加計問題についても10月中に獣医学部新設の認可が下りるとの予定であったが何らかの理由で延期されている。

 一方、野党にも連日ごたごたした問題が渦を巻いている。まず、希望の党国会議員団の代表人事でごたごた劇が続き未だに決められないでいる。

 立憲民主党でもダブル不倫問題で世間を騒がせた山尾しおりを入党させるのか頭を痛めているようだ。

 また、民進党の存続問題では政党助成金のプール金が100億円以上あることから、先祖帰りしようとのバカげた動きもちらついている。

 国民の代表たるべき国会議員がこの体たらくでは呆れてものが言えない。五丈原の歌にある「中原鹿を争うも、誰か王者の師を学ぶ」、に思いをいたしてほしいものである。

安倍総理に利用された公明党・創価学会

 今回の衆院選結果で私が最も着目したのは、公明党が6議席も失ったことである。

 国会議員には一人当たり毎月65万円もの政党助成金が支払われているから、6議席を失ったということは公明党は次の衆院選までに月にして390万円の政党助成金がもらえなくなったことになる。これは党にとって大きな痛手であろう。

 なかでも神奈川の小選挙区候補がまさかの落選をし、必死で選挙活動をした宗教団体・創価学会の会員の落胆は筆舌に尽くせないものがあろう。

 公明党はなぜこれほどまでに敗北したのであろうか。

 まずもって言えることは、自公が取引している中には、公明が小選挙区候補を出していない選挙区では、公明が自民党候補を支援する代わりに、比例票については自民党員は公明党に配慮することになっている。

 しかし、今回は安倍政権に危機感があり、自民は公明党創価学会の応援を受けても比例票においては公明に入れず手を抜いた党員が多かったのではないか。結果として公明党安倍総理に利用されたのである。

 公明党創価学会は組織の機関決定があれば皆がそれに素直に従うのであるが、自民党には党員に対する機関決定の拘束力があまり効かず、信頼できないところがある。公明党敗退の原因は自民の手抜きであることは明らかであろう。選挙後、安倍総理は山口代表に申し訳なかったとお詫びしたと聞いている。

 しかし、なぜそうなったのかについては、私は違う見方をしている。誤解を恐れずズバリ結論を述べておく。いまや公明党創価学会日蓮門下と自称しながら、日蓮大聖人の世出の本懐たる弘安2年10月12日ご図顕の本門戒壇の大本尊に決別したために、諸天善神の加護を得られなくなったのである。今後も次第に生命力を減退し、連立政権の枠組みも変わってくる可能性も生まれるであろう。このことは公明党創価学会が自ら招いた他国侵逼の難なのである。