有川靖夫の日記

カントが唱える真善美に利を加えた普遍的な価値の獲得に日々努力しております。

信頼度5割の人間より99%のお前を警戒するー市川雄一秘話⑤

 市川雄一氏は独特な考えを持つ人物だった。

 私が市川氏の第1秘書になったときに最初に言われたことは、私の党内における友人について、すべて断絶することを要求してきた。

 曰く「お前が付き合っている○○は国対委員長派の男だからこちらの情報が洩れないように気をつけろ。これからは付き合わない方がいい」と。その時、私は大いなる違和感を抱いたが、秘書になるということはそうあらねばならないものかと暗い気持ちになった。

 以後、私は市川代議士の忠実な人間として振舞うことになった。ある時、こんな考えを披露されたことがあった。それは、党内の主な国会議員や党職員について、自分は何%信頼しているか品定めをしているというのだ。

 例えば、50%信頼できる人間なら、残り50%はいつか裏切るかもしれないのだから、そうなっても困らないように大事なことは50%に抑えて話すことにしていると言うのだ。

 そして、私については、秘書として99%随順しているようだが、残り1%異質なところがあるように感じていて、99%信用できても1%信用できない人間の方が怖いので警戒している、と言うのだ。

 今にして思えば、私に関するこのような人物評価は流石と言うしかない。秘書であるからには全力で職責を果たす努力はするが、私には私なりに極めたい人生の大目的があるので、この領域には誰人にも介入させることはないという鉄の意志をもっている。市川氏はそれが鼻につき気に食わなかったのかもしれない。

大半の人が分かっていないことー市川雄一秘話④

 市川雄一氏が代議士になったとき、私は初代の公設第一秘書にスカウトされた。この話は代議士から直ではなく、寺島秀幸次長を介しての打診であった。後で分かったのであるが、私の前に打診された人がいたようである、が、市川氏はあまりにも厳しい人なので皆が遠慮したようである。

 私は経理部から機関紙局に人事異動して間もない時期であったので、あまり深く考えもせずにお受けした。それからというもの、秘書業を通じて地獄の猛特訓を受けることになる。

 細かいことは話せないが、市川秘書になったことで私は、大半の人が分かっていない大事なことを実践を通して学ぶことができたと感謝していることがある。今日はそのことを公開したい。

 議員会館には様々な業界団体や個人からの陳情事が毎日のように沢山飛び込んでくる。それらの処理については、秘書は○○さんからこのような陳情がありました、と、内容を正確にまとめて代議士に報告すれば済む話ではある。

 ところが市川氏は違っていた。「俺はどうすればいいんだ」と私に回答を求めてくるのだ。代議士に降りかかってくる全ての問題に、私が市川氏の立場に立って回答付きの報告をしなければ報告自体が出来なくなってしまったのである。

 広汎な調査や取材をして回答付きの報告をすることを余儀なくされたわけである。本会議質問や予算特別委員会などでの質問事項も私が第一義的に作ることになってしまった。しかし、陳情事の回答や国会質問の原稿などは、代議士に報告・提出すればそれで終わりではなかった。

 報告を受けた市川氏は、その内容を精査し、私の判断の問題点を厳しく追及してくるのである。市川氏は、私の何事も自分でとことん考えない悪い癖を直そうと猛訓練してくれたのだと思う。

 「いいか有川、人生、自分に降りかかる問題はどうすべきかについて、胃が痛み血便がでるまで自分の頭で考え抜くのだ、よし、これで行こう、これが最高の結論だ、と。そのうえでしかるべき人に相談をすることはいい、自分の結論を出さずにすぐ他人に相談する人物は幾つになっても人間としての質的向上はない。世間にはそういう薄っぺらな人間があまりにも多すぎる。そういう人間は心臓は動いていても死人と同じだ。自分の最高の答えを持ったうえで先輩に相談する、そこでなるほどと思えるアドバイスがあったときに自分と先輩の違いが分かる、そのときにのみ人間の質的成長があるのだ」と。まさに男子の一言金鉄のごとしの逸材であった。

逆算の思考で大暴れ(市川雄一秘話③)

 永遠の空席と言われた創価学会の参謀室長に任命された市川雄一氏は、独特の思考パターンを2,3持っていた。

 一つは逆算の思考である。これは公明党の機関紙局長時代に身に着けたものである。  日刊紙の朝刊新聞作りで大事なことは、決められた時刻までに印刷を完了させることである。これが出来なければ購読者との契約違反になり業務が成り立たなくなってしまう。

 そのため市川は、印刷の完了時刻を起点にして校正・割付・出稿・取材・編集会議と、新聞作りの作業工程を逆算して、それぞれの担当職員に完了時刻を厳守させるために鬼となって睨みをきかせた指揮を執った。

 新聞作りで身に着けた市川の逆算の思考は、他の問題についても適用された。かつて市川が、東京1区から衆院選に公認された公明党の渡部道子支援のため、最高支援会議に出席した時のこと。

 会議の議題は得票目標をどうやって達成するか、で議論が交わされた。基礎票はハッキリしているから、あとは活動家の士気をどうやって盛り上げるかに議論が白熱化した。

 頃合いを見て市川は逆算の思考を展開した。

 即ち、活動家の士気を高めることの前にやるべきことがある、として、本部・支部・地区・ブロックの基礎票に準じた壮年・婦人・男女青年部のそれぞれが達成すべき得票目標の数字を入れた一覧表を提示した。それによって幹部自身のやらんかなの士気が最高潮に盛り上がり渡部は勝利した。

 

泣く子も黙る共産キラー(市川雄一秘話②)

 「永遠の空席」と思われていた創価学会の参謀室長に任命された市川雄一氏。このポストに就く者は、池田大作氏の後継であり次期会長に就任される人とうわさされていた。

 当時、政界では上田・不破兄弟が率いる日本共産党が、民主連合政府樹立の構想を掲げ、人民議会主義の理論を展開、紙爆弾と言われた赤旗の号外やチラシを国中にばらまき隆盛を極めていた。

 そんななか,市川は、このまま共産党の主張を野放しにしていたのでは彼らの躍進を止めることは出来なくなるとの危機意識から、機関紙局内に理論派の記者を集めて共産党対策に本腰を入れた。

 まずもって市川は、共産党がそれまで公表してきたすべての書籍や文献を読み切り、問題だと思われる疑問点を整理したうえでメンバーに割り振り、公開質問状形式の原稿を提出させた。メンバーの原稿やゲラになった文章は市川によってうんざりするほど加筆訂正された。その粘りとしつこさは異常としか言いようがなかった。

 そして出版されたのが「憲法三原理をめぐる日本共産党批判」である。200を超える質問に共産党は未だに回答していない。二段階革命論、複数政党・信教の自由の危機、人民憲法と強大な軍事力ー等々、古くて新しいテーマに満ちている。池田氏

この書を高く評価し自らの参謀バッジを市川の背広に付けたのではないか。

市川雄一氏のご冥福を祈りつつ過去の秘史を明かすーその①

 公明党元書記長の市川雄一氏が昨年12月亡くなった。私は、市川さんが公明新聞の機関紙局長だった時に社会部の記者として仕事をしていた。

 私は元々は大学を卒業後は創価学会の本部職員になりたくて面接試験を受けた。当時は政教一致丸出しの時代であったから、公明党創価学会の政治部のようなもので、面接担当だった学会の飛田経理部長は私を公明党本部の経理部に配属した。

 そこで私は長田総務局長のもとでしばらくの間仕事をしたが、なぜか機関紙局に人事異動となった。当時、局長の市川さんは学会の参謀室長という要職にあった。日中は党の仕事をし、夜は学会青年部の最高幹部として青木青年部長や福島男子部長などと青年部の育成に専念しておられた。

 参謀室長という役職は戸田会長に仕えた池田大作氏が頂いたもので、学会内部では永遠に空席のものと思われていたのである。その役職を市川氏が池田会長から任命されたのは、全国の参謀の任命を受ける者が参謀バッジを池田会長から授与される儀式の冒頭のことであった。

 その場に私も呼ばれていたので鮮明に覚えている。バッジの授与者は800人ほどであった。静まり返った広宣会館の会場に入ってこられた池田会長は、御本尊の前に座るや否や鐘を三回強く叩いた後、南無妙法蓮華経の題目を三唱したあと、くるりと我々の方に向きを変えると「これから参謀バッジの授与を行います」といって冒頭次のようなことを話した。

 まず、市川雄一氏を呼んで市川雄一氏を参謀室長に任命すると言った後、自らが付けていた金の参謀バッジを外し、そのバッジを市川氏の背広に取り付けたのである。その際、バッジの裏には番号が彫られているとし、番号はゼロ番であることを明かした。ちなみに1番の番号は青木青年部長であり私は確か626番だったと思う。

 なぜ市川氏は永遠の空席と言われた参謀室長に任命され、池田会長が付けていたゼロ番のバッジを付けてもらえたのか。その理由を池田会長はこう述べた。「日本共産党と戦っているのは市川だけだ。参謀室長に値する。理論闘争に負けるようなものは私の弟子ではない」(主旨)また「今後あらゆる選挙戦で負けるようなことがあれば、今日集まった君たち参謀の責任である」(主旨)

 その後「以上、終わり!」と告げるや再び鐘を強く3回叩き題目を三唱しさっと会場を後にされたのである。

私がめざす仏界という最高の生命について

 仏教はあくまでも内道を説くもので、外道とは違い、わが身の中にある己心の生命の実体を説いているのです。ですから、宇宙の根本法などと言って、宇宙の何処かに根本法が存在し、そのリズムに我が身の生命のリズムを合わせる、などと説く教えは、外道の考え方であって釈迦や日蓮大聖人の教えではありません。

 仏教の要諦は内道であり基本となる法理が十界互具論になります。今日はこのことについて解説いたします。

 十界とは時間の流れの中で、瞬間瞬間に表れる生命の境地を説くもので、10種類あると洞察しています。即ち、地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界、人界、天界、声聞界、縁覚界、菩薩界、仏界の10種類です。この中で仏界ばかりは現じ難いと言われています。

 仏界の境地とは完全な円満で、かつ自由自在の境地を言います。また森羅万象の理に通達し、過去・現在・未来の三世にも通達しています。さらには、一切衆生を包含し、制御し、幸福に導く知恵と力を兼ね備えた境地の人物と説かれています。

 先に述べた十界の個々の生命には十界の生命が備わっていると説き、このことを十界互具といいます。ということは、我々について言うならば、まず、我々は人間に生まれてきたわけですから基本の生命は人間界の境地と言えます。

 人間界の生命の基本の境地は、和を好むことが特徴であります。しかし、十界互具ですから、戦争行為に走るような修羅界の境地にも変化するわけです。しかし、前述したように、仏界の生命だけは自分の力では表すことがことができません。したがって、日蓮大聖人は石中に火を、木中に花を現ずるごとく困難なことである表現されたのであります。私はこの仏界の境地に到達したいがために、60数年間修行してきました。

 私が代表を務める「地涌の会」では誰でもがこの仏界の生命を現じ、その力用をこの世で思う存分に発揮できる方法をお教えしております。お金の御心配はご無用です。私や理事長が直接お会いしお手伝いさせていただきます。090-7825-6257

久遠元初の誓願と真の魂の独立

 釈迦と日蓮大聖人の本当の教えを学ぶ「地涌の会」の有川靖夫です。

 今日は、久遠元初の誓願と魂の独立という大事な話をしたいと思います。釈迦が説いた法華経を知らない人々は、釈迦がいつ悟りを得て成仏したのかについてわかっていません。

 インドのマカダ国の王子として育った釈迦は、16歳のときに世間的な快楽を嫌い、思想的な満足を得たいと願い、出家して様々な師を求め学び修行をしました。この間、難行苦行を重ねましたが、30歳の時に現在のブダガヤの菩提樹の下に安座し瞑想を続けた結果、遂に誰人にも壊すことのできない絶対的な幸福境涯を取得しブッダとなりました。これが法華経の教えを知らない人々の認識です。

 しかし、釈迦は50年の説法のなかで、亡くなる前の8年間説いた法華経において、自らが悟りを得て仏となったのは久遠の昔に菩薩の修行をして仏になれたことを明かすのであります。即ち、永遠の生命、生命は永遠に続くものであることを説いたのであります。

 さて、日本に生まれた日蓮は出家して仏道修行に邁進します。そして32歳の時に南無妙法蓮華経を題目とする立宗宣言をし、58歳となられた1278年(弘安2年10月12日)に出世の本懐たる本門戒壇の大御本尊を造立されました。

 立宗宣言から戒壇の大御本尊を造立されるまでの如説修行を続けられる中で、法華経の布教活動を展開したがゆえに被った数々の法難が、釈迦が予言したことと寸分違わぬことから、自らが仏教の本仏であることを確信されるわけです。

 ということは、釈迦は本仏に非ず迹仏になるのであります。ということは、久遠の昔に釈迦が仏になれた菩薩道の実態こそ、久遠の当初(さらに遠い)たる久遠元初において本佛として悟られた日蓮大聖人の当体である南無妙法蓮華経の唱題によって仏になれたことになるのであります。

 そして、この久遠元初において日蓮大聖人に南無妙法蓮華経の下種を受けた本眷属(地涌の菩薩)が、釈迦滅後2000年以後の今日にあたる末法(釈迦の教えが衰えて成仏ができない時代のこと)の世に生まれ出て広宣流布することを誓った説いているのであります。

 さらに、本仏である日蓮大聖人の教えによれば、本門戒壇の大御本尊は「日蓮が魂を墨に染め流して書き手候ぞ」というものであることを断言されている。

 以上のことから本日の創価学会の機関紙「聖教新聞」に掲載された池田大作氏のメッセージにある「魂の独立」とは日蓮大聖人の出世の本懐たる本門戒壇の大御本尊に帰依すること以外には出来得ないのであります。また、それが出来てこそ日蓮大聖人直結の教団になれるのであります。

 逆に、本門戒壇の大御本尊に決別したのでは誤った魂への独立ということになるのであります。そして悲しいかな、本門戒壇の大御本尊を離れた教団では久遠元初の誓願も果たすことができなくなるわけです。日蓮大聖人の本当の教えでない教えに縁する気の毒な会員が世界中増えても他国侵逼の難を招くだけで真の広宣流布とは言えないわけであります。後世のために今日は以上のことを述べておきます。